Ghetto

生と死(自殺問題を含め)について勉強し、生きづらさを解決や緩和させることを主な目的にしています

Ghetto

18周年

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今日でGhettoは18年目です。

近頃、ときどき昔の自殺系サイトのことを思い出すことがあります。

とくに界隈の有名サイトによく立ち寄ったり、このサイトを作ったりしたときのことなんかをです。

そういえば、しばらく現実では孤独で立場が不安定でした。

けれど、このカテゴリのサイトを介して知り合った人たちと本音で話せる機会が増えたこともあり、その意味で恵まれていると思います。

で、そのうち自分でもサイトを作ろうと思ったわけです。

 

 

追憶

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サイト開設時の話をします。

当初は基本的なHTMLを駆使し、先人のやっているサイトを参考に研鑽を重ねていました。

すると、たちまちたくさんの利用者が現れ、人生も青天井に!

...なんてことにはなりませんでした。

が、それでも日々淡々をと取り組んでいたら、すこしずつ結果が出てくるようになりました。

これには参入障壁が低くソフィスティケートされていないフィールドだったこと、またネット上でのカウンセリングができるスペースを求める機運が高まっていたことも関係しています。

 

賜物

そうした事情もあって、はたして数カ月後にはかなりの人が訪れるようになりました。そして数年後にはアクセス数が100万回を超えていました。

だから、こちらは時が経ってから小規模なところの運営者が昔のことを話しているわけではありません。自殺系サイト華やかなりし頃、一応中心になっていた語り手による物語です。

ただし、多くの人に親しまれてきた待宵月さんの憩いの場ほど有名になったわけではありません。ちなみに待宵月さんの憩いの場はこの界隈ではもっとも存在感がありましたが、数年前に閉鎖になりました。

さて、このサイトに話を戻します。当時は祝日や年末年始はアクセスが集中するのが慣例となっていました。ちなみにこのサイトのチャットルームへの参加者は、祝日や年末年始を中心に一部屋に10人以上集まることもありました。

現実ではうだつの上がらない自分の運営しているコミュニティに、全国から悩み事を抱えたたくさんの人たちが訪れ、楽しそうに話をしている。

そう思うと、現実の孤独で立場が不安定な自分とこの界隈で主流になっていくサイトとのギャップが複雑に感じられるいっぽう、嬉しくもありました。

 

窓と世界

ところで、このサイトはパソコンで管理しています。ちなみに昔からパソコンはテキストやプログラムを書いたり、事務作業に使ったりすることが多いです。

それから、パソコンは自分と外の世界をつなぐ窓でもありました。

けれど、デスクワークやコミュニケーション用のツールとして考えていたわけでとくに思い入れはありません。

立場が不安定な場合、ほとんどの人にとってすぐに利用でき、自意識を拡張してくれるツールやそれを利用している時間に依存する傾向があります。

たとえば、パソコンやスマホからネットへのアクセス時、ゲームのプレイ時、乗り物の運転時です。そしてその場合、そのツールの窓を通して見える世界に超越性を感じやすくなります。

ところが、そうなるとその窓を通した価値観やルールが世界のすべてであるかのように誤認し、視野が狭くなったり、論理的飛躍が生じることがあるように思います。

自分の場合、そうしたことは長い時間テキストを作成しているときにありましたが、ひんぱんには起きませんでした。

それにしても、いまは物心つく前からデジタルデバイスにふれることも自然になっています。しかし自分の場合はそういうわけではありません。

それでも、同世代のなかではやや早い時期にネットにアクセスするようになって、けっこう幅広いコンテンツをウォッチしていました。

そうやって、青年期にパソコンの画面という窓を通し、さまざまな世界を見ることができたことは人生の勉強になり、結果的に良かったと思います。

 

散歩者の思惑

自分の場合はサイトを運営するだけでなく、界隈のいろいろなサイトをウォッチしていました。

そういえば、以前あるサイトのチャットルームによく出没していました。

そこで知り合った、近畿地方の女の子や東海地方の男性とは休日のときなどは四六時中というとおおげさですがよく語り合っていました。楽しいことからくだらないことまで長い時間を費やしてです。

いまやこの界隈はほとんど来たことのない人からすれば、いかにもディープな世界だと思われているかもしれません。

たとえば、あたかも上座部仏教の僧侶の世界のように、その関係者だけよほど特別な意識を持っているように誤解されている節もあります。

しかし、さきほどのように普通に他愛ない話をしていることもあります。というか、そうしたことのほうが多いです。

実際、この界隈のサイトの掲示板やチャットでのやりとりは生と死に関係した雑談が中心です。そうやって生と死に関係したニュースや映画や本などの話をしながら、より深い生き方を模索している場合も多いのです。

そして、そうした会話を楽しむことがささやかな生きがいになっていることはよくあります。だから意外と親しみやすく、長閑で牧歌的な面もあります。

 

18周年

さきほど説明したチャット仲間の話も10年以上前のことになります。

当時を思い起こすと楽しい時間が過ぎるのはあっという間だったとも思います。

実際にはしんどいと思うこともすこしはありました。だけど、年々そうした記憶は淘汰されている気がします。

どうやら、ネットの場合も記憶は美化されるようです。

さて、今日でGhettoは18周年。

作ってから長い時が流れましたが、サイトに関わってくださった方々に感謝です。

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